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1 2007年 02月 17日
劉達華(アンディ・ラウ)と張震(チャン・チェン)と、王家衛(ウォン・カーワイ)のことを考えていた。
突然、楊徳昌(エドワード・ヤン)が見たくなった。 なぜだろう? ■
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by yeungji
| 2007-02-17 07:41
| 人
2007年 02月 14日
傘小僧は、どこからともなく現れる。
インドネシア・ジャカルタを走る中距離路線バス。空が煮え切らない午後、ぼんやりしていたら窓ガラスに大粒の雨が打ちつけ始めた。「ああ、嫌だな……渋滞するかな……バス停から歩いて帰れるかな……」。雨粒ひとつで、不安がむくむくわきあがる。いつもは開けっ放しで走る昇降口も、さすがに今日は閉められている。考えてもしかたない。幹線道路はびっしり車で埋まっている。窓の外を眺め、気長に待つよりほかはない。 普段の倍は固い椅子の感触を楽しんだ後、ようやく「Kiri ya, Pak!(降ります!)」の場所にたどりついた。満員の車内をかきわけて出口へ。ああ、タラップのすぐ下は一面、泥色の海だ。 ドアが開いた瞬間、聞こえてきた。 「Payung, payung, payung!(傘、傘、傘!)」 傘小僧だ! 小学校低学年にみえる男の子、女の子が数人。裸足で叫びながら、こちらをじっと見つめている。ぶかぶかによれたシャツに短パン、背丈より大きい傘をひきずり、バスに向かって叫ぶ。びしょびしょのシャツは体に張り付き、やせた手足が浮き上がる。 ぴたりと目を合わせれば、交渉成立。距離に関係なく、目的地まで歩いて1000ルピア(約15円)。タラップの下は泥水の海だ。「ザブッ」と音を立てて降り、小僧が差してくれる傘の下、並んで歩く。 私が傘小僧のお世話になったのは、一度だけだった。心の底に、何となく「使っちゃいけない」という気持ちがあったのかもしれない。 土砂降りの中、隣を並んで歩く傘小僧は、まっすぐ前を見ていた。ずっと背の高い私が「柄を持とうか」と言ったが、頑として受けつけない。小僧のひざたけほどの水を歩く時も、客である私を気遣い、慎重に傘を上下させて少し先を歩く。あまりの真剣さに無駄話もできず、無言で2人てくてくと、スコールの中を歩いた。 別れ際も、あっさり。1000ルピア札1枚をさっと受け取り、疾風のように路地に消えた。 傘小僧はどこから来たのか? どこへ行ったのか? 細い足が吸い込まれた路地の闇を、呆然と見詰めた。 ■
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by yeungji
| 2007-02-14 01:00
| 街
2007年 02月 07日
ジャカルタが、2002年以来5年ぶりの洪水被害に見舞われている。20万人が避難生活を強いられ、被害額は4兆ルピアという。02年の洪水……ああ、思い出した。
大洪水、というと、降りやまぬ雨を想像するかもしれない。ジャカルタでは違う。雨季になれば日に数度、文字通りバケツの水をひっくり返したような豪雨がやってくる。しとしとしと……と降り続くのではなく、「ザバッ」と一日に何回か。「ザバッ」の後はカラリ。その繰り返しだ。「ザバッ」の頻度が増せば、すなわち大洪水になる。 02年の雨は、確かにひどかった。街の中心部、有名な5つ星ホテルが2階まで水につかった。在留邦人に人気の日本料理店は一時休業。ホテル自体も半年以上閉鎖の憂き目にあったっけ。 インドネシア語で、洪水は「banjir(バンジル)」。学校だろうが、仕事だろうが、遊ぶ約束だろうが、バンジルは遅刻した時の格好の言い訳だった。「garagara banjir(洪水のせいで)」と言えば、たいてい許されるような空気があった(もう1つ、「garagara macet(マチェット=渋滞)」という言い訳もよく使われた)。 5年前の洪水で記憶に残っているのは、水につかったホテル脇に出現したゴムボートだ。どこからどうやってあの光景を見たのか、思い出せない。幹線道路であるはずの泥色の水面に、子どもたちがボートを浮かべ、バスの乗客(私もその1人だ)に向かって叫んでいる。 「Lima ribu, lima ribu, lima ribu!(5000、5000、5000ルピア!)」。数十メートルの道路を“ひと渡し”で約70円。子どもたちは笑っていて、声も明るく大きくかった。乗り込む大人たちも、なんだか洪水という非日常をを楽しんでいるような気楽さがあった。しかし彼らはいったい、どこから現れたのか。いつのまにボートを膨らましたのか。 あ、洪水の話を書いていたら、インドネシアの「傘小僧」を思い出した。小僧の話は次回。 ■
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by yeungji
| 2007-02-07 23:58
| 街
2007年 02月 05日
蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督が故国に帰り、最新作「黒い眼のオペラ」(原題・黒眼圏)を撮った。
細長いバンタル(抱き枕)、屋台のクエティアオ・ゴレン(炒果條)、建設途中で打ち捨てられた高層ビル、市内バス「ラピッドKL」の3色の車体、プドゥ刑務所の外壁、逃げ場のないヘイズ(煙害)、水がめのあるマンディ・ルーム(風呂場)、手のひらより大きい茶色い蛾。 サラワク州クチン出身の蔡監督。マレーシアでは何を思い、カメラを回したのだろう。 郷愁の先にあるものを、いつか見たいと思う。 ■
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by yeungji
| 2007-02-05 23:50
| 電影
2007年 02月 01日
クアラルンプールで出会った一番いい男は、俳優でも歌手でもない。住んでいたアパート裏の、「中華一膳飯屋」の兄貴だった。
「一膳飯屋」なんて、もう日本でもほとんど死語だが、ほかにふさわしい言葉が見つからない。毎日昼時、店先に大きなステンレスのバットを並べて何十種類ものおかずを盛り上げ、ご飯と一緒にサラリーマンやOL相手に売りさばく。 店はクアラルンプールの下町によくある、古い低層集合住宅の1階にあった。コンクリート打ちっ放しの床に、半屋外のスペース。6~8人がけのテーブルが十数台はあっただろうか。数種類の野菜の炒め物、豆腐のひき肉あんかけ、スペアリブの炒りつけ、鳥のつま先(鳳爪)の甘辛煮、骨付き鳥肉の炒め煮、しいたけと牛肉の醤油煮、青菜のニンニク炒め、もやしと厚揚げのとろみ炒め、玉子のごま油風味蒸し……中でも一番好きだったのは、ミートローフ状の豚ひき肉の蒸し煮だった。 「ヨッ! マカン、マカン、マカン!(さあ、食べて食べて食べて!)」。兄貴は湯気が立つ山盛りのおかずを前に、毎日声を張り上げていた。日に焼けた顔、半そでTシャツの袖をまくりあげ、ジーンズ、ビーチサンダル。年のころは30過ぎか。片手に銀のしゃもじ、片手に白い発砲スチロールの弁当容器。バットが並べられた粗末な木の台の前に、ネクタイを締めたサラリーマンや、スーツにヒールの若い女性がひしめく。人ごみの間からおかずを覗き込むと、兄貴は私の顔を見て、決まってニヤリと言った。「マカンカア、ダーパオ?(ここで食べる?持ち帰る?)」。マレー語と普通話のチャンポン。私が変なマレー語を話す外国人、と知ってのことだったか。 「マカン!」と答えると、彼はオレンジ色のプラスチックの皿を手に取り、傍らのステンレス製の寸胴から、パラパラする白飯をざくっとすくい、皿に盛り上げる。「半分、半分」と頼むと、「いっつも少ないなあ」と笑いながら減らしてくれた。 数種類のおかずを盛ってもらい、会計へ移動。レジは、きゅっと小またの切れ上がった顔も体も小作りな姐さんが、きびきび取り仕切っている。薄い黄色い綿の半そでブラウス。「ヤムメイア?(飲み物は?)」。ここでは広東語。いつも一番安い「アイス・テ・オー(冷たいお茶)」。すぐ脇に置かれた大鍋には、「きょうのスープ」が湯気をたてている。「サービスだから、これも飲んでいってね」。姐さんはいつもニコリと言った。 昼のみの営業だったがいつも大賑わいで、高級外車で乗り付ける華人もいた。インド系のウェイター(あんまり色が黒くて何系か分からない人もいた。豚肉を扱っているから、マレー系ということはないよなあ……とぼんやり眺めたが)は、どんな客だろうが扱いは同じで、汚いふきんでザッザッとテーブルをふき、こぼれそうな飲み物のコップをドン!を置いて動き回っていた。 ある日、いつも余計なことは言わない姐さんが、釣り銭を渡しながら言った。「あなた、日本人なのね? 私のおばあさんは日本人なの。日本からマレーシアに渡ってきたの」。私は「本当?」と言っただけで、人ごみに押され、何も返すことができなかった。姐さんは、いつも通りニコニコしていたけれど。姐さんと兄貴が言葉を交わしたのを見たことは、一度もない。2人の関係は、結局分からずじまいだった。 仕事が長引き、午後2時を過ぎたころに店の脇を通ると、兄貴がひとり遅い昼食をとっていることがあった。がらんとした店の真ん中のテーブル、古ぼけた丸椅子に足を広げて座っている。皿に盛られた店の残り物を口に運びながら、黙ってじっと店の前の道路を見つめていた。路面にはクアラルンプールの午後の日差しが落ちていた。彼の背後のレジでは姐さんが、売り上げを数えている。私は、その背中を眺めるのが好きだった。 きっと彼なら、クアラルンプールだろうが、ジャカルタだろうが、香港だろうが、東京だろうが、ニューヨークだろうが、同じように朝、目を覚まし、店に立ち、おかずを売るだろう。 「ヨッ!マカンカア、ダーパオ?」と言いながら。 ■
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by yeungji
| 2007-02-01 00:21
| 街
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