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2007年 09月 11日
「俺たちは、人の不幸で飯を食っている人種さ」
事件被害者の葬儀の席で、遺族に「今の気持ち」を聞かなければならない時。災害や事故の一報を聞き、とっさに「何人死んだか」に頭が行ってしまう時。事件現場や夜回り先で、取材相手から一撃を受けた時。「あんた、それを聞き出して何が嬉しい」。いつも一瞬立ちすくんだ。 数年後。ニュース編集者となった私の手元には、日々膨大な原稿が飛び込んできた。数十行の原稿に込められた人生。現場で取材された人間、彼や彼女を取り巻く人々、そして取材した側の喜怒哀楽。手の中で活字に姿を変え、次々と飛んでいった。薄暗い明け方の仕事場。刷り上ったばかりの紙面は、暗いニュースで満たされていた。「どうしようもないな。人の不幸で食っている」。缶ビールをすすりながら、さっきまでゲラを手に怒鳴っていた上司が、自嘲気味につぶやいた。 何かを字にして食べていくことは、それだけで残酷なことだ。激務のせいもあって、何人もの友人、先輩、上司が、早すぎる若さで道半ば倒れていった。ともに働いた親しき人の訃報を聞きながら、目の前のゲラとにらみあう自分。「どういう紙面を作ってる。ひと文字いくらで売ってると思ってるんだ」。先輩が怒鳴る。一番大切なのは、手の中のゲラにいる「伝えられるべき人々」なのだ。逝ってしまった友人は、分かってくれるだろう。先輩と私の間には、暗黙の了解があったかもしれない。 私にとっての文字と言葉は、その程度の重さを持っている。重いのか軽いのかは分からない。確かなのは、字にすることの恐ろしさも、素晴らしさも、つらさも喜びも愚かさも、十数年の「活字屋」人生で、澱のように体内に蓄積されたことだ。 「この作品を撮ることで、監督は傷つかなかったのかな」 ユ・ジテの口から聞いて思った。「あ、この人は知っている」。もちろん、描写することが仕事の私たちと違って、表現することが仕事の監督や俳優が背負うものは、ずっと重いに違いない。自分の羽を抜いて、誰かに何かを見せなければならないのだから。真綿のように繊細で、鋼のように強い心を持ち合わせなければ、表現者にはなれないのだろう。ユ・ジテの穏やかな微笑みを見ながら、ぼんやりと思った。 「結果を出さなければ、意味がないんです」 表現者の卵である若い友人が、目に涙を浮かべて言った。さて。ぬるくなったビールを片手に、幸か不幸か、心臓に毛が生えてしまった私は思う。結果に頭が行っているようでは、いばらの道は乗り越えられないかもしれないな。人の不幸で飯を食ってきた人間は、こんな時、訳もなく残酷になる。行くも行かぬも、君の選択だ。 言葉の体重が限りなく軽い、インターネットの世界で。すっかりふてぶてしく腹のすわってしまった活字屋は、少しのユーモアと、少しの皮肉と、たっぷりの愛とともに、文字を置いていきたい。
by yeungji
| 2007-09-11 03:33
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