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2007年 02月 01日
クアラルンプールで出会った一番いい男は、俳優でも歌手でもない。住んでいたアパート裏の、「中華一膳飯屋」の兄貴だった。
「一膳飯屋」なんて、もう日本でもほとんど死語だが、ほかにふさわしい言葉が見つからない。毎日昼時、店先に大きなステンレスのバットを並べて何十種類ものおかずを盛り上げ、ご飯と一緒にサラリーマンやOL相手に売りさばく。 店はクアラルンプールの下町によくある、古い低層集合住宅の1階にあった。コンクリート打ちっ放しの床に、半屋外のスペース。6~8人がけのテーブルが十数台はあっただろうか。数種類の野菜の炒め物、豆腐のひき肉あんかけ、スペアリブの炒りつけ、鳥のつま先(鳳爪)の甘辛煮、骨付き鳥肉の炒め煮、しいたけと牛肉の醤油煮、青菜のニンニク炒め、もやしと厚揚げのとろみ炒め、玉子のごま油風味蒸し……中でも一番好きだったのは、ミートローフ状の豚ひき肉の蒸し煮だった。 「ヨッ! マカン、マカン、マカン!(さあ、食べて食べて食べて!)」。兄貴は湯気が立つ山盛りのおかずを前に、毎日声を張り上げていた。日に焼けた顔、半そでTシャツの袖をまくりあげ、ジーンズ、ビーチサンダル。年のころは30過ぎか。片手に銀のしゃもじ、片手に白い発砲スチロールの弁当容器。バットが並べられた粗末な木の台の前に、ネクタイを締めたサラリーマンや、スーツにヒールの若い女性がひしめく。人ごみの間からおかずを覗き込むと、兄貴は私の顔を見て、決まってニヤリと言った。「マカンカア、ダーパオ?(ここで食べる?持ち帰る?)」。マレー語と普通話のチャンポン。私が変なマレー語を話す外国人、と知ってのことだったか。 「マカン!」と答えると、彼はオレンジ色のプラスチックの皿を手に取り、傍らのステンレス製の寸胴から、パラパラする白飯をざくっとすくい、皿に盛り上げる。「半分、半分」と頼むと、「いっつも少ないなあ」と笑いながら減らしてくれた。 数種類のおかずを盛ってもらい、会計へ移動。レジは、きゅっと小またの切れ上がった顔も体も小作りな姐さんが、きびきび取り仕切っている。薄い黄色い綿の半そでブラウス。「ヤムメイア?(飲み物は?)」。ここでは広東語。いつも一番安い「アイス・テ・オー(冷たいお茶)」。すぐ脇に置かれた大鍋には、「きょうのスープ」が湯気をたてている。「サービスだから、これも飲んでいってね」。姐さんはいつもニコリと言った。 昼のみの営業だったがいつも大賑わいで、高級外車で乗り付ける華人もいた。インド系のウェイター(あんまり色が黒くて何系か分からない人もいた。豚肉を扱っているから、マレー系ということはないよなあ……とぼんやり眺めたが)は、どんな客だろうが扱いは同じで、汚いふきんでザッザッとテーブルをふき、こぼれそうな飲み物のコップをドン!を置いて動き回っていた。 ある日、いつも余計なことは言わない姐さんが、釣り銭を渡しながら言った。「あなた、日本人なのね? 私のおばあさんは日本人なの。日本からマレーシアに渡ってきたの」。私は「本当?」と言っただけで、人ごみに押され、何も返すことができなかった。姐さんは、いつも通りニコニコしていたけれど。姐さんと兄貴が言葉を交わしたのを見たことは、一度もない。2人の関係は、結局分からずじまいだった。 仕事が長引き、午後2時を過ぎたころに店の脇を通ると、兄貴がひとり遅い昼食をとっていることがあった。がらんとした店の真ん中のテーブル、古ぼけた丸椅子に足を広げて座っている。皿に盛られた店の残り物を口に運びながら、黙ってじっと店の前の道路を見つめていた。路面にはクアラルンプールの午後の日差しが落ちていた。彼の背後のレジでは姐さんが、売り上げを数えている。私は、その背中を眺めるのが好きだった。 きっと彼なら、クアラルンプールだろうが、ジャカルタだろうが、香港だろうが、東京だろうが、ニューヨークだろうが、同じように朝、目を覚まし、店に立ち、おかずを売るだろう。 「ヨッ!マカンカア、ダーパオ?」と言いながら。
by yeungji
| 2007-02-01 00:21
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